「献げて豊かにされる」 07.06.17
ローマ12:1〜8
<神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に
喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたの
なすべき礼拝です。>(12節)
聖書は、神さまにお献げした人生として生きるようにと語りかけてきます。
どんな時にも、神さまにお献げした自分として、考え、語り、行うことを
するようにと言うのです。
「自分のために生きる。」「人生は自分のものだから、自分のため使うことが
一番良い。」そのような考え方が現代社会に広がっているようです。神さまに
よって生かされている自分自身のことを軽んじる必要はまったくありませんが、
他者のための視点を失った生き方は、幸せでなく悲しみを生み出します。
自分が得ることに夢中になるところでは、愛や優しさといった人に与える
ことを大事にする心は生まれないでしょう。ここに、現代社会にあふれて
いるひずみの原因のひとつがあるのではないでしょうか。
聖書は、神さまのために生きてみなさいと勧めます。この勧めには、
神さまが憐れみによって私たちを受け止めてくださることが前提とされて
います。
なぜなら、私たちは「神に喜ばれる聖なる」存在ではないからです。
人を愛することのなかなか出来ない、自己中心的な心をぬぐうことの
出来ない者です。神さまに対して罪深い者です。献げたとしても、拒まれて
しまうのではないでしょうか。しかし、神さまが「受け入れる」ことが約束されて
いるのです。神さまに献げて生きることは、神さまに受け入れられて生きる
ことです。この勧めは、神さまに連なり、受け入れられ、肯定されている
安心が伴う人生への、聖書の招きです。
神さまに受け入れられていることを知るときに、私たちに生き方は
変わるでしょう。誤解され、
理解されないことがあっても、神さまが受け入れてくださることに
励まされます。 なかなか成果が上がらない時にも、主の助けを
信じて前に進んでいけます。
主に献げる生き方は、主から必要な力を受ける生き方になります。